<蜂蜜酒をふたりで・3>
ラクシが寝返りを打つ。
寝苦しいのか、それとも単なる癖なのか。
しかしそんな姿態すら、今のティーエには目の毒であった。
健康的に寝返りを打つ姿も、悩ましげに見えて仕方無いのだ。
ティーエは椅子に腰掛けたまま、椅子の背に腕を組んで乗せ、その上に顔を伏せていた。
そうしていても、濃厚に感じてしまう、ラクシの気配、吐息。
何気無い仕草に、どうしてこう過剰に反応してしまうのか、ティーエは自分の心の中の欲を、恨めしく感じた。
それでも。
何か、このもやもやと胸の裡で渦巻く、苛立ちにも似た欲情を、抑える術は無いものか。
ティーエは緩く頭を振るように、部屋の中を見渡した。
部屋の隅、ラクシの荷物が纏めて置いてあるところに、大事に包まれたひとつの包みを、ティーエの双眸がふと捉える。
何処かで見たような、そして何故かとても懐かしいような。
胸の裡の嵐を鎮めようと、ティーエはそっと椅子から立ち上がり、その大事に包まれた荷物を手に取った。
その物体に触れた瞬間、ティーエは思わずそれを抱きしめたくなるような衝動に駆られた。
懐かしい。懐かしい匂いのするこれは―― 。
“それ”を包んでいた布を解くと、中からは美しい細工の施された楽器が姿を現した。
この楽器―― ランピーには、見覚えがあった。
忘れようも無い。このランピーは、他ならぬ巫女王システィリナ…ティーエの唯一の肉親である伯母が、
ラクシに贈ったものだったからだ。
ローダビアに行った時には、アステ・カイデの第六侯家に預けていたものだが、いざアドリエへと向かうとなると、
ラクシは忘れずに、ちゃんと持って来たのだ。
(伯母さま)
ティーエはランピーの胴ををそっと指でなぞりながら、その伯母の面影を思い浮かべる。
母シレーナの面影を色濃く漂わせるその面差し。
今は無きカゼス王家のただひとりの生き残りであり、高貴なる魂の輝きを持つ、『アドリエ』の月神殿の巫女王…。
最後に直接会ったのは、アドリエを発つ日だった。その後、幽魂投出によって、その霊視の力を借りに、
伯母の元を訪れた事はあったものの…こうして考えてみると、もう1年近くも会っていない、たったひとりの肉親。
初めて出会うまでは、生存すら判らなかった伯母だというのに―― 一度会ってしまってからは、何故かとても懐かしく、
会いたくて仕方の無いひとになってしまった。
(また、貴女にお会い出来るんですね)
伯母の、母と良く似た翠の瞳が、優しく微笑んでいたのを、ティーエは思い出す。
愛し子を見守るように、伯母はティーエを見つめていた。そして、その眼差しは―― 甥であるティーエだけではなく、
今この部屋で眠っているラクシにも、向けられていたような気がした。
実際、巫女王システィリナは、ラクシをとても可愛がっていたのだ。
『あなたがあの子と結ばれる、その日まで…ここに留めておきたいのだけれど』
ティーエは知らないのだ。ラクシの身柄を、月神殿の伯母の元に託していた間、伯母と、ラクシが交わしたその会話の内容を。
伯母がラクシに贈った、宝飾品のようなランピーを、ティーエはそっと手に取った。
絃に触れると、やわらかな音がした。
本来のランピーの音色とは異なるような…心をそっと慰めてくれるような、そんな優しい音だった。
「伯母さま…」
このランピーに触れていると、あの懐かしく慕わしい伯母のすぐ傍にいられるような気がして、
ティーエは静かに絃を爪弾き始めた。
眠る恋人を起こしてしまわぬよう、気を払いながら、ティーエはランピーを奏でていた。
ランピーの音色は、ティーエの中で渦巻く劣情と苛立ちを鎮め、そして、慕わしい伯母の面影を思い出させる。
ティーエの白く滑らかな頬を、一筋の涙が伝い落ちた。
それは、あたたかな涙の雫だった。
ラクシが目を覚ますと、彼女は自分が寝台の上に横たえられている事に気付いた。
ゆっくりと上体を起こし、辺りを見渡すと、ここが自分に宛がわれた船室である事を確認する。
甲板でうとうとと微睡んでしまった自分を、ティーエが運んできてくれたのだろうか。
薄暗い―― とはいえ、眠りを妨げない程度の明るさのランプは灯してあるが―― 室内で、ラクシはそっと頬を赤らめた。
あんなところをティーエに見せてしまうなんて。
いくら恋人とはいえ、気が緩み過ぎていた事を、ラクシは密かに恥じた。
そのラクシの目が、椅子に腰掛けたまま眠る人物の姿を捉える。
アドリエの巫女王システィリナから贈られた、大事なランピーを抱えたまま、眠るその姿は…紛れも無く、
恋人のそれだった。
ラクシは寝台から降り、ティーエの傍に歩み寄り、そっとその顔を覗き見る。
長い睫毛が伏せられたその美しい寝顔には、涙の跡が残っていた。
(…泣いていたの?)
手を触れようとして、ラクシは思わずその手を引っ込めてしまう。
ティーエが抱えているものが、何であるのかに気付いたからだ。
ティーエの唯一の生存する肉親である伯母から贈られたランピー。
それはラクシに贈られたものであるが、甥であるティーエに触るなとは、ラクシは一言も言った覚えは無い。
おそらく、自分をここに運んできて…それから見つけたのだろう。
幼子のように泣き疲れたように眠るティーエの姿を見ながら、ラクシはそっとその腕からランピーを外して、
再び布にそっと包んだ。
そして、ティーエの肩を優しく抱きしめる。
(さみしい…の?伯母上さまのこと、思い出させてしまったの…?)
ラクシはティーエの肩を抱きながら、その長い髪に頬を埋め、そっとくちづけた。
ティーエはまだ、目覚める気配は無い。
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(2007年04月26日)
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