<くちびると蜜・前>
マッサージを申し出たのは自分だった。その大胆さに、ティーエ自身驚いたが、可愛い恋人は、頬を染めながら小さく頷いた。
滋養にも良く効く良質の蜂蜜を手に入れたのは、それからすぐの事。
美容にも良いのだと、少女に語って聞かせると、普段そういう事には興味が無さそうに装っている少女の目が、
ぱっと輝くのを、ティーエは確かに見た。
「蜂蜜、お好きですか」
「舐め過ぎると甘いけど。でも、嫌いじゃない」
小さな壺に入った蜂蜜をラクシに見せると、ラクシは目で、舐めて良いかと問い掛けて来たので、ティーエは微笑んで頷いた。
ラクシは細い指先を壺の中に入れ、少量の蜂蜜を掬い取る。そして、その指先をそっと小さな唇にもって行った。
ぺろりと舐めるその仕草に、ティーエの心臓は突然早鐘を打ち始める。
何と愛らしいのだろう。
そして、何と淫靡である事か。
ティーエの思惑をよそに、上質の蜂蜜を味わったラクシは満足そうに笑った。
「これ、美味しいよ」
素直な微笑みに、ティーエも思わず微笑み返す。
自分の胸に巣食った“本能”を悟られないように。
これは、夜になるまで、彼女に悟られてはならない。
人前で恋人らしい振る舞いを嫌う彼女だから、なおのこと。
薄明かりに白く浮かび上がる、ラクシの滑らかな背中。
その少女らしい柔らかな線に、ティーエは頭に血が昇るのを感じた。
全身が火照るように熱い。嫉妬の熱とは別の、得体の知れない熱だった。
…否、得体が知れない訳では無い。かつて一度だけ、これほどまでに激しさを伴ってはいなかったが…
これに良く似た熱を感じた事があった。
生贄になる事が決まった前の夜。ティーエはラクシと、初めて身体の関係を持った。
その時の熱情に、今の感覚は何処と無く似ている気がした。
…そうか、これは…
ティーエはじっと目を閉じ、己の全身を駆け巡る熱を抑えながら、それでも完全に抑えきる事の出来ぬまま、
何処か醒めた頭の片隅で考える。
これは性欲というものなのだろう。
初めて、ラクシを抱いた時にはそれと自覚してはいなかったが。あの時は、縋り付いて来るラクシがただ愛しくて、
その華奢な身体を、自分の身体と繋げたのだった。
だが、その根底に眠る、本当の衝動は…激しい熱を伴った、性欲だったのかもしれない。
所詮、自分も「ひと」であるのだろう。人間は食物や水を欲するように、異性の身体を求める。
それは生殖行為でもあるのだが、性的な衝動はそれだけが原因では無いだろう。
愛しいと思った者を欲しいと思うのは、ごく当然の事であるのだから。
ティーエは震える指先で蜂蜜をすくい、そっとラクシの背中に塗り広げた。
ラクシは、そんなティーエの様子には気付かない。
背に塗られた蜂蜜の、ぺたりとした感触に、ラクシは思わず小さく悲鳴を上げる。
その悲鳴が…微かに鼻に抜けるような甘い吐息に聞こえたのは、ティーエの気のせいだったのだろうか。
ラクシの背に塗り広げた蜂蜜を、そっと掌で伸ばしながら、ティーエは彼女の肌をそっと揉み解して行く。
日頃の疲れを癒すように。…そして、そっと愛撫するように。
白い指先の震えは止まらなかった。
時折遣る瀬無い吐息を漏らすティーエを不審に感じたのか、ラクシは寝そべったまま、そっとティーエの方を振り返る。
ティーエは、天を仰いで目を閉じていた。
凝りを解すための手は、既に動きを止めてしまっている。蜂蜜に塗れた手を、構いもせずに…
ティーエは呆然としているように、ラクシには見えた。
だが、実情はそうでは無く…身体の奥底から湧き出でる、止めどないを欲情と、ティーエは必死に闘っていたのだ。
理性はそれを抑えようとする。だが、欲情はその抑制を振り切って、表面に出て来ようとしていた。
欲しい。この身体を、欲しくて堪らない。
嫉妬の熱とは全く異なるようで、それでいて、本質的なものは良く似た欲情に、ティーエがその身体を委ねるのに、
それ程時間を必要としなかった。
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(2006年07月18日)
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