<背中合わせの運命>
大地に繋がる『世界の相』としての宿命。
ひとりの人間として生きたい、自分の意志。
運命の神は、ひとりの人間の運命を弄ぶのだろうか。
わたしは生きたい。
抱きしめた腕の中の少女の、柔らかな感触を確かめながら、ティーエははっきりと自覚した。
『世界』として、もしもの時はこの命を捨てる覚悟は出来てはいる。だが…この愛しい少女をひとり置いて行く事に、
ためらいがあった。
わたしがいなくなったのなら。
わたしが死んでしまったのなら?
ひとの死というものは、いずれは乗り越えて行かなければならないものではある。
自分が死んだのなら、非常に長い年月を要するかもしれないが…少し買い被りかもしれない…
きっとラクシは立ち直るだろう。そして新たな人生を歩み出す。
おそらく、他の誰かと共に。
その、見た事も無い『誰か』に、ティーエは嫉妬した。
自分はおそらく、ラクシという少女に溺れ込んでしまっているのだろう。
彼女が他の誰か、他の男と共に人生を歩む…といった事自体が、耐えられなく感じるのだ。
自分が死んでしまえば、いずれそうなるのは解り切っているのに。
自分には、死した後も彼女の自由を束縛する権利は無いと知りながらも、ティーエはどうしようもない嫉妬と
独占欲に苛まれていた。
明日の儀式…生贄の儀式で、ラクシはティーエが命を落とすかも知れないと心配して泣く。
心の底から、行かないで行かないで、死なないで死なないでと叫ぶ声が、ティーエには痛い程伝わって来た。
その心が愛しい。ラクシの震え慄く心を、丸ごと抱き締めたい衝動に、ティーエは駆られた。
唇を重ねても、もっと深くまで彼女を抱き締めたい。
身体の奥底から突き上げるような欲求に、ティーエ自身非常に驚いたが、この『本能』は、本来生物が持ち合わせて
いるはずのものであるのだろう。
「わたしは死んだりなんかしません。必ず、あなたの許に戻ります」
「でも…でも…」
赤子をあやすように、ティーエは震えるラクシを優しく抱く。
頬を寄せ、滑らかな額にそっと口づける。それでも、ラクシの震えは止まらない。
「そんなに…心配?」
耳元で優しく低く、ティーエは囁いた。
「わたしは今こうして、あなたの傍にいるのに」
そう言うと、ティーエはラクシを抱く腕の力を少しだけ強めた。ラクシはティーエを潤む瞳で見上げ、
堪え切れ無いように低く叫ぶ。その声は掠れていた。
「心配なんだよっ!…今はここに居るけど、明日どうなるか…」
死んでしまうかもしれない、という言葉を、ラクシは呑み込んだ。
ティーエが死ぬ。それは考えるだけでも辛い事であったが、それよりも口に出してしまうと、
本当にティーエが死んでしまうような気がしたからだった。
「明日が、そんなに気になりますか」
「当たり前だよ…」
俯いたラクシの細い顎に指を掛け、ティーエは上向かせた。気にするなと言う方が無理なのは、
ティーエ自身も良く解っている。
今こうして触れ合っているだけで、ラクシの心の震えが、自分の心の惑いのように伝わって来るからだ。
震える珊瑚色の小さな唇に、そっと優しく口づけを落としながら、ティーエは華奢な身体を強く抱いた。
「ティー」
いつも恥ずかしがって顔を背けるラクシが、この時ばかりは強く求めるように、ティーエの唇を求めて来た。
より深く、より激しく。
ティーエの背中に回した手が、強く服の生地を掴む。そんなラクシは珍しく情熱的に、ティーエには見えた。
あなたが欲しい、とその仕草と全身で訴えているかのようだった。
勿論、そんな露骨な事は、ラクシは口には出さなかったが…その代わりに、全身でそれを訴えていたのであった。
***************
神への捧げものには、清浄を要求される。
本来ならば、生贄を承諾したティーエにもそれは当然要求されるものであったのだが、
ティーエが『清らかである』事を理由に、それは免除されていた。
清浄とは、数日間他人との接触を絶ち、神への捧げものに相応しく『穢れ』を清めるという意味合いである。
しかし、穢れとは何であろうとティーエは思う。
肉に関する事、つまり肉食や人間との密接な関わり…それは確かに、神への生贄になる者にとっては『穢れ』であるのだろう。
ティーエ自身、なるべく『穢れ』の無いように、そして他者の命を奪う事が耐え切れないので、菜食を貫いているが…
果たしてそれは、完全な『清浄』であるのだろうか。
人間として生まれたからには、当然他人との関連は切り捨てられぬものであるし、隠者のような暮らしを望まぬ限り、
人の世にあるという事は、少なからず誰かと関わらねばならないのだ。
まして、誰かに好意を持ち、愛しいという感情を抱いたなら…。
ティーエは『月女神に捧げられた者』として生きてきたが、それはこの世に生を享けた時に祖父が命名したものであり、
それが即ティーエの運命を示すものでは無い事は、今のティーエには充分に解っていた。
人間は穢れなくしては種を残せない。
聖職者は世の中の雑多な思念から自らを遠ざけるために、他人との接触を絶ち『清浄』である事を望む。
だがティーエは、人の世の中において、大陸を救う道を選んだのだ。聖職者の言う『穢れ』とは無縁でいられる
はずが無かった。またティーエ自身も、敢えてその身を『穢れ』から遠ざけようとも思わなかった。
愛しい人と結ばれて何が悪い。
神に全てを捧げる事だけが、大陸を救うためになると、どうして言い切れるのだろうか。
自分は確かに月女神に捧げられた者であり、太陽神の化身とも言えるオーラを持ち、そして今暗黒の大神への生贄と
なろうとしている身ではある。だが、自分は神のための駒では無いのだ。傍目から見れば『神に最も近し』くとも、
ティーエ自身は自分がそうだとは思えなかった。否、思いたく無かった。
宿命に絡め取られ、縛り付けられるのは、自らが『世界の相』を持ち、大陸を救う使命だけで沢山だ。
わたし自身の命は、わたしのもの。…少なくとも、儀式の前日である今日一日は。
ティーエはティーエ自身だけのものであった。そうでありたいと思ったのだ。
だから、ラクシの無言の求めを、ティーエは受け容れるつもりだった。
愛して欲しい、死なないで欲しいと、ティーエ自身が愛しく思う少女が、その身を投げ出して来ているのだ。
何故拒む必要があろうか。
「後戻りは出来ませんよ」
かつてラクシが想いを寄せたひとが言った言葉を、ティーエは言った。だがラクシは、その事に気付いた風も無く、
潤む瞳で微かに頷く。
それを確認したティーエは、少女の華奢な身体を抱き上げ、自分に宛がわれた部屋に彼女を連れて行ったのである。
男女の結び付きというものは、ティーエもラクシも、漠然と知識として持ってはいたが、いざその時を迎えたとき、
戸惑いを隠せないのも事実であった。
どうすれば…良いのだろうか。
だが、いざ寝台の上で唇を重ねあっているうちに、そんな戸惑いは彼らの中から掻き消されてしまったのだった。
理性を失った獣のように、激しく唇を求め合う。
それは次第に激しさを増し、気が付けばふたりとも、生まれたままの姿を互いに晒していた。
ラクシはその清らかな姿を晒す事に羞恥を覚えたようで、腕でその身を隠そうとしたが、ティーエが貪るように
その身体を求めると、大人しく彼のリードにその身を委ねた。
大きな波のうねりのように、互いの身体を求め合う。
心が欲しい。
体が融けあってしまえば良い。
あなたの、全てが欲しい…。
やがて互いの体がひとつに結ばれたとき、戸惑いよりも歓喜の方が上回るのを、ふたりは感じた。
熱く蕩けるようなラクシに酔いながらも、その体を激しく揺さぶりながら、ティーエはただ至福を感じていた。
そしてラクシも、ティーエの予想以上の激しさに翻弄されながらも、愛しいひととひとつになれた喜びを噛み締めていた。
やがて高みにまで昇りつめ、果てた時に、ティーエの目に映ったものは…窓から見える銀色の月だった。
金色では無く、青白く輝く銀の月。
それを一瞬見つめたティーエは、愛しい少女をしっかりと抱きしめ、しばし意識を手放した。
これを『穢れ』と呼ぶのなら、何とでも嘲笑うがいい。そう思いながら。
夜明け前、身なりをすっかり整えたティーエは、まだ眠りの中にある愛しい少女の唇に、軽い口づけを落とし、
部屋を出て行った。
必ず生きて帰って来る、そう心に誓いながら。
生きて、愛しいひとと一緒に『人間として』の道を歩むために。そして、彼女を置いて行かないためにも。
一方、寝台に横たわったままのラクシの閉じた眦からは、一筋の涙が伝い落ちていた。
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一応「裏」用として書きましたが…あまりハッキリとは書かないようにしたつもりです。
原作の例のキスシーンの後、含みがありますよね?
あの後どうなったのかを、膨らませて(苦笑)書いたらこうなってしまいました…。
考慮してたのだと思います。さんざん「エロはあるのか?」と言われていましたので(笑)。
あの夜、関係を結んでいても不思議は無いと思うのですが。
その後のティーエとラクシのやり取りを見ていると、どうもソレっぽい感じがしなくも無いです。
「背中合わせ〜」なのは「宿命に縛られる」と「自分の意志で生きる(運命を切り拓く)」の意味で付けました。
私は私だけのもの、と言うと某オーストリア皇后を彷彿とさせますが(笑)。
(2006年06月05日)
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