<きみがすきだよ>




腕の中の柔らかな感触、鼻腔をくすぐるふんわりとした甘い匂いに、ティーエは大分慣れて来た。
船縁に立つラクシを、後ろからそっと抱きしめる事にも、抵抗をあまり感じなくなった。
今は彼女が愛しくて堪らないのだ。愛情表現というものを覚えたばかりの幼子のように、 ティーエは事有る毎にラクシに触れていた。
彼女の華奢な身体を抱きしめる度に、ラクシの恥じらいが伝わって来るのだが、ティーエはそれを微笑ましいものと 受け取っていた。
恋人の気分というのは、こんなにも幸せなものなのかと、ティーエはつくづく思う。
これも大陸の危機を乗り越える事が出来たからこそ、手に入れることの出来た幸せなのだろう。

「…あのさ」
「どうしたんです?」
「おまえってさー…その、人目を気にしない、よね」
「はい?」
ラクシを抱きしめ、その髪を愛しげに指で梳いていたティーエは、改めて彼女の顔を見た。
恥じらいと嬉しさと、そしてほんの少し苛立ちが混じった表情。そんな顔すら可愛らしく見えて、 ティーエはラクシのふっくらとした頬にそっと唇を寄せる。
唇が触れたその肌は、すべすべしていて、赤子の肌のようだった。
頬に口づけされて、ラクシの顔が火を噴いたように紅くなる。
「その…嫌いじゃないんだけど、…人前ではどうかと…その…」
しどろもどろになりながら、ラクシはティーエの顔を引き剥がした。だがその引き剥がし方にも、 若干の力加減がなされているのは、彼女自身も照れているからなのだろう。
ティーエは不思議そうに首を傾げる。
「いけませんか?」
「…いけない、とは言ってないけど…」
ラクシの言葉が尻すぼみになっているのは、多分恥ずかしいからだろう。
こんな風に、愛情表現を人前でされるのは、全く嫌だという訳では無いが…どうにも気恥ずかしい。
どうせ抱きしめるのなら、ふたりだけのときにして欲しい。
そんな微妙かつ繊細な乙女心が、無邪気に喜んでいるティーエに伝わるのかどうか、ラクシにはとてもそうは思えなかった。

「わたしはあなたに触りたいんだと思います」
「おまえねー、自分のことを他人事のように言ってるけどー…恥ずかしいのは、おれなんだからさ」
「わたしは、恥ずかしくないですけど」
「そりゃあね…」
ティーエの方は好きで触っているのだから、当然恥じらいなど無いだろう。むしろ、何故ラクシが 『人前で触られる事』を恥らうのか、今ひとつ疑問に思っている節すら見受けられる。
だが…通常感覚を持ち、しかも極度の照れ屋であるラクシには、ティーエが人前でスキンシップを図って来るのは、 嬉しい反面、困惑の方が強いようでもあった。
困惑が色濃く浮かんだラクシの顔を、ティーエは心配そうに覗き込んだ。
長い伏せがちの睫毛が間近に迫り、ラクシはどきりと心臓が高鳴るのを感じた。
緑と紫の色違いの双眸にじっと見つめられると、今でもどうにも落ち着かない気がする。つまり、 ティーエの眼差しは、恋する乙女にとっては、それ自体が強力な『武器』であるのだった。
ひとの気持ちも知らないくせに。
ラクシはぷい、とティーエから視線を外した。その彼女の仕草に、ティーエの眼差しが急に曇る。
捨てられた仔犬のような目をする『恋人』に、ラクシはやれやれと溜め息を吐いた。

結局何だかんだで、ティーエには勝てないのかもしれない。
それはラクシの方がティーエに、より惹かれているからなのか、それともティーエに『世間一般常識』が無いからなのか。
その辺りの事はよく判らなかったが、ともあれ、ラクシはティーエの服を掴んで、船室に引っ張り込んだ。

「人前でくっ付いたりするのが恥ずかしいの」
ふたりきりになって、ようやく本音を、照れたようにぶっきらぼうに言い放つラクシを見て、 ティーエはようやく事態を呑み込んだらしい。
にっこりと微笑み…それもやや確信犯的な笑みであったが…を浮かべて、改めてラクシの肩を後ろから抱きしめる。
「つまりあなたは、人前でなければいいんですね?」
耳朶を噛むように囁くティーエの声はどこか楽しげで。
「わたしは、あなたのことが好きなんですから」
その囁きを聞いたラクシが、耳までもが真っ赤に染まったのは、言うまでも無い事であった。


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書いてるこっちがこそばゆくなるような、単なるノロケ話でした(苦笑)。
一回は書いてみようと思い、書いてみたら…見事に撃沈しました。
ティーエが微妙に黒いです。ついでに確信犯的です。更に少しエロいかもしれません。
この後、ずるずると『ティーエのマイペース』に引き摺られるラクシ、という構図がどうしても書きたくなってしまいます(笑)。
その話は裏行きになってしまうかもしれませんが…機会があれば、この話の『その後』を書いてみようと思います。

ちなみにタイトルの元ネタは、1991年の高見沢俊彦(ソロ名義)のアルバム「主義〜Ism」収録曲から。
歌詞が全てひらがなという…ある種とても変わった歌です(苦笑)。

(2006年05月21日)







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