<白い蓮の花>




今夜が、太陽帝国にいる最後の夜になる。
明日からは、船上の人となり、北の大国アドリエを目指すのだ。あの、運命の都に、再び帰る・・・。
ティーエが運命と出逢い、魂の片割れを失った、あの国へ。
戻る事に躊躇いが無い訳ではなかったが、それでもここ、アステ・カイデに長居する事に比べればマシだった。
ここにこれ以上居るのは、あまりにも辛過ぎるのだ。

・・・何と長く・・・永く、この国に居過ぎた事だろうか。
目的がここにあったからというのもある。
ここが大陸の中心を担う土地であるからというのもある。
だが・・・全て終わった今となっては、あまりにも無駄な時間を、この国で費やしてしまったのではないかという 疑問すら感じる。
時間は限られている。
儚い人間の、限られた一生の中で、無駄な事など無いと、そう思いたくても。
あまりにも、この国に滞在する時間は、無駄な程長かった。
要らぬ感情を溜め込み、要らぬ苦悩を抱えて。そんなもの、必要無かったのに。

そう、あまりにも無駄で・・・その時間が取り戻せるのならと思う程、この時間は永過ぎて。

もう止めようと、ティーエはひとり頭を振る。
だが振り払ってもなお、その疑念が頭の中から離れない。
何故この国に長居してしまったのか。
要らぬ人間関係に巻き込まれてしまったのか。
要らぬ感情も抱え込んでしまったのか。
今となっては、ただ後悔の念が募るばかりだった。

全ては、自分の軽率な行動が招いたものであったのだが。
大陸を救うには権力を有する者に近付く、そんな自分らしくも無い、慣れぬ方法を選んだのが、 そもそもの間違いだったのだ。
宮廷内の延々と続く権力闘争。それが、大陸の危機を救う事と、何の関係があっただろうか。
大貴族に振り回され、神殿関係者にいいように振り回され、弄ばれただけなのではなかったか。
自分の持つ、世界の相。ローダビアのある一部では、凶眼とも言われる、この色違いの眸。
これのせいで、そして自分の考えがあまりにも浅かったために・・・大切な人間達を、巻き込んでしまった。
巻き込まれたのが自分だけなら、自業自得というものなのだが。大事な仲間達は、それでも、自分を信じて、 あえて危険に身を晒してくれた。
その彼らに、自分はどう報いる事が出来るのだろうか。・・・出来る方法など、ティーエには考えられなかった。
世界を救ったのは、結局自分ひとりの力では無く、自分を媒体とした『大陸全ての人々の祈り』ではなかったか。
自分自身はとても無力だと、思い知らされた瞬間でもあった。
何が、世界の相を持つ者か。世界の命運を握る者、なのか。それはただの象徴、まやかしのようなものではないのか。
ティーエは頭を抱える。
思考が混乱して、何も考えられない。
体中の血液が、急に逆流するかのような錯覚にすら捉われる。
今ここにいる自分は、一体何なのか。
大陸に繋がり、救いに導く者ではなく・・・災厄を呼び込む者ではないのだろうか。
わからない、何もかも、わからない・・・。

胸を押さえて荒い息を吐くティーエに呼応するように、風が強くなって来る。
ああ、また。自分の感情に、天候が振り回されている。
感情をそのまま出すのではなく、抑制するでもなく、違う方向に発散させる・・・それを、自分はまだ、 完全に制御出来ていないらしい。
他ならぬ自分の身体と魂なのに。
ティーエはこの時ほど、自分の身を呪わしく思った事も無かった。


六侯家の中庭に、小さな池がある。
そのほとりに、ラクシは佇んでいた。
綺麗な蓮の花が咲いている。白く、うっとりするほど見事な、蓮の花だった。
天上に咲く花といわれるカルナーの花も美しいが、この蓮の花も充分に美しい。
白い花弁、ほんのりと薄紅に染まる花弁の縁。
幾重にも重なる花弁の花を見ていると、どこかこの世のものでは無い、夢幻の世界にいるかのような錯覚を、 ラクシは感じた。
その花に少しでも触れてみたくて、ラクシは池の中の花に手を伸ばす。
うっとりするような花に、なかなか手は届かず、ラクシは少し苛立ちを覚えた。
近くにあるのに触れない。・・・それはまるで、あのひとのようで・・・。
ラクシの脳裡に、ひとりの人物の面影が過ぎる。
俯いた横顔は、とても思い詰めていて。自らを責め苛んでいるようだった。
苦しい苦しい、わたしなど・・・いなければ良かったものを。
その人物は、尋常でない程に苦しんでいた。それは・・・愛しいひと。
魂の対である、彼であったのだ。
声ならざる声で呼ばれた気がして、ラクシは振り返る。そしてそっと、その名を口に乗せた。
「ティー」と。


何故振向いたのかも、理解せず。
何故この場所に来てしまったのかも理解せず。
ただ、呼び合った気がして。
池のほとりの東屋で、ティーエとラクシは遭遇してしまった。

助けて、というティーエの悲鳴を、ラクシは聴いた気がして。
あのひとに縋りたい、救ってくれるだろうとティーエは思って。
互いが互いを呼び合った事を理解したのは、顔を合わせてから数秒以上経過してからだった。


見つめ合った時に、時間はその歩みを止めた気がした。
そんなふたりを現実に引き戻したのが、水の音だった。
池の中に棲む蛙が跳ねたのだろう。ぽちゃん、という小さな音が、ふたりの感覚を現実の世界へと引き戻したのだ。
時間が動き出してすぐ、ラクシはティーエの異変に気付いた。
尋常ならざるほどに蒼ざめた顔。思いつめたその眼差し。光り輝くはずのオーラが、褪せて見えるほど、 ティーエは追い詰められているように見えて。
ラクシは思わずティーエに駆け寄り、自分よりも背の高い、その身体を抱きとめた。
冷たい。これが血の通う体なのかと疑わしく思うほど、ティーエの身体は冷たかった。
ラクシの心に、ティーエの悲鳴が伝わって来る。
わたしなどいなければ良かったのに。苦しい、助けて・・・。
その悲痛な心の叫びを感じ取ったラクシは、思わず目をギュッと閉じた。ティーエを抱きしめる手に、 自然と力が入ってしまう。
この重い気は、一体何なのだろうとラクシは思う。ティーエの全身に、黒い怨念が取り憑いたような、この重さは・・・。
「ティー?」
「ラクシ」
ティーエはラクシの呼びかけに、縋りつくように彼女を抱きしめた。
その瞬間、ラクシは判ってしまう。ティーエの声音からかすかに視えた、黒い重さの正体に。
この黒い重さの正体は、ティーエ自身の自らを苛む思念なのだと。
ラクシはティーエの背にしっかりと腕を回し、抱きとめるように抱きしめる。少しでも、 自らを追い詰める苦しみから救ってやりたい一念で。
辛いのなら、全て吐き出してしまえば良い。
自分の中に溜め込んでしまっていては、ティーエが辛いだけなのだから。
「どうして・・・自分の中だけにしまい込んじゃうんだよ」
「ラクシ・・・」
「おまえは・・・どうして、おれには・・・何にも話してくれないんだよ・・・」
それって、やっぱりおれのことを信用していないから?口には出さなかったラクシの呟きが、 ティーエには確かに聴こえて、胸が痛むのを感じた。
ただ、先程まで感じていた自らを苛むような胸の痛みではなく、ラクシが自分の身を気遣ってくれることに 対する胸の痛みだった。
その痛みは、じんわりとティーエの心を浸してゆき・・・そして、その痛みは、やがてどうしようもない愛しさに変わった。
それに、先程から、実はティーエが気付いていたことがあった。
ラクシに抱きとめられた瞬間から、黒い重さが、次第に和らいでいくのを。
ラクシの持つ、人を癒すその生命の力、オーラ。その優しい光に、自分はどれ程救われて来た事だろうか。 そう思うと、深い愛情と感謝の念で、ティーエの双眸から涙が零れ落ちた。
それはもう、悲しみの涙ではなかった。そして、周りの気候を巻き込むことも、無かった。


白い蓮の花が、咲いている。
ラクシに促されるようにそれを見たティーエは、思わず感嘆の溜め息を洩らす。
それは天上界の花。清らかで美しい、穢れを取り払う魂の結晶のように、ティーエには見えた。
「綺麗ですね」
「そう・・・カルナーも綺麗だけど、蓮の花もとても、綺麗」
夢見るように呟くラクシの肩をそっと抱きながら、ティーエは再び蓮の花に目を向ける。
蓮は、水の下の泥の中に根を巡らし、それなのに水上にはこんなにも美しい花を咲かせる。
どろどろとしたものを一切感じさせずに、天上に咲き誇るように花開く美しい蓮の花。
何故ラクシが見惚れていたのか、ティーエには解る気がした。

この蓮の花は、ラクシにとても似ている気がした。
自らの辛い事を表には出さず、それでいながら周りを救う優しい魂の持ち主。
何と、この花と彼女は似ていることか。

「マレオ湖には、蓮の花は咲くの?」
「さあ・・・どうでしょう」
「咲いているといいね」
「わたしも、そう思います」

アステ・カイデの想い出は苦々しいものとなってしまったが。
これから帰る、アドリエ・・・そしてデンの跡地、カゼス。そこに面するマレオ湖にも、蓮の花は咲いているのかもしれない。
デンやカゼスを見なければならないのは辛いことだけれど。それでも、現実はしっかりと見届けなければならないのだ。
マレオ湖を過ぎたら、次は砂漠への玄関口のト・アデル・・・昔のイタール公国だ。
その場所にラクシが足を踏み入れるのは、辛いかもしれないが。自分と同じように、彼女もまた、 辛さを乗り越える強さを持っているのだと、ティーエは確信していた。
それでももし・・・辛さに耐え切れず涙を流すような事があれば。
今度は自分がラクシを救ってやる番なのだと、ティーエは蓮の花を見ながらそう思った。


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まとまりの無い話で申し訳ないです。
アステ・カイデに関する話は一応これでお終いにしようと思っています。
人間関係を描くのが大変そうなので・・・。

今回むやみにティーエがウジウジと悩んでいますが、実際にこんなものなのではないかと、私は思います。
大陸の危機が去って、改めて見直してみて気付く、自らの過ち。
ひとりでは何も出来ない・・・人が支えあって生きていく事の重要性を、ティーエが気付けば良いと思って、 こういう話になった次第です。
しかしどうにも不発気味なのがアレですが(苦笑)。

実際の蓮の花は、白から鮮やかなピンクまで、色々ありますが、最もポピュラーなのはおそらくピンクでしょう。
それなのに何故「白」なのか。 それはタイトルが「白い蓮の花」だからです(笑)。
実際にあるんですけれどね、白い蓮の花・・・。

タイトルは2004年宝塚歌劇団宙組公演の「テンプテーション!〜誘惑〜」の主題歌のひとつより。
「白い蓮の花」というタイトルの歌から、題名をとっています。

(2006年09月26日)







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