<恋を呼ぶ歌>
あなたは特別なひと。
わたしにとって、誰よりも大切なひと。
その華奢な肩を引き寄せた時、彼女は抵抗しなかった。
ただ引かれるままに、なすがままに、自分の胸に収まってしまう。
そんな彼女…ラクシの様子に、ティーエはやや戸惑った。
自分は彼女を無理やりに抱きしめていないだろうか?
甘い戸惑い。けれど、恋に馴れぬ身には、胸を切なく締め上げるような、重大な戸惑いでもあった。
触れ合えば心が通じ合う。
けれど、どこまでも覗いても良い訳では無い。彼女の心は彼女自身のものだから。
ティーエは恐る恐る、ラクシの小さな顔を覗き込んだ。
大きな黒目がちの、少しだけ目尻の吊り上がった瞳。その茶色の瞳は、まるで子猫のようだ。
親にはぐれた子猫のような、少しだけ不安そうな瞳に、ティーエの瞳も曇る。
『わたしが、嫌い?』
そう訊いてしまうのが怖かった。訊くのは非常に簡単な事ではあるけれど、それを訊いてしまったら…
後戻りは出来ない気がしたからだ。
せっかくこの腕に抱きしめた心が、擦り抜けて行ってしまいそうで。
触れ合った心が、急速に離れて行くような気がして。
ティーエは思わず、ラクシの身体を強く抱きしめた。
『あなたは、わたしが嫌い?』
ラクシの心の声は聴こえるのに、自分の心の叫びは彼女には聴こえない。
それがもどかしくもあり、じれったくもあった。
ただ出来る事は…そっとその目を見つめる事だけ。ありったけの想いを込めて、
自分の想いが伝わるように、見つめるだけ。
『あなたは、わたしが嫌い?』
問いかけるような眼差しを受けて、ラクシの目がそっと伏せられる。
黒く長い睫毛が、自らの問いを遮断したようで、ティーエは胸に痛みを覚えた。
それは無言の拒絶なのか。愛してるというのは、一時のまやかしのような幻聴だったのか。
“好きなのよ、愛してるの”
ラクシの心はそう叫んでいたのに、それは嘘だったのだろうか。
そう思うだけで、ティーエの目の前は昏くなる。胸がどうしようもなく痛み、切なくてどうしようもない。
ティーエは身悶えるように、その秀麗な眉を顰めた。
「…ティー?」
ラクシの指が、そっと眉間に触れる。その柔らかな感触に、ティーエははっと目を見開いた。
猫のような、黒目がちの茶色の瞳が、じっとティーエを見上げている。目を逸らさずに、真っ直ぐに。
「何にも言ってくれなきゃ、わかんないよ」
焦れたように頬を膨らませるラクシを見て、ティーエは重要な、だが最も基本的な事に気付かされた。
自分は人の心の声や叫びを聴く事が出来る。
けれど、それは誰にでも備わった力ではなく…自分の思いを伝えるのは、自分の声、言葉なのだと。
「…わたしは」
喉を通り抜ける自分の声は、ひどく掠れているようにティーエには感じられた。
ラクシがギュッとティーエの身体を抱き返して来る。それは言葉よりも雄弁で。
その華奢な身体を改めて抱きしめ、ティーエは溜め息のように、ラクシの耳元で囁いた。
「あなたに嫌われているのかと思いました」
「どうして」
「だって、あなたも何も言ってくれないから」
ラクシは改めてティーエの顔を見上げた。切なげな眼差しのティーエと視線が絡まり、思わず顔に血が昇る。
けれどその気恥ずかしさを敢えて無視し、ラクシは爪先立って、そっとティーエの頬に口づけた。
そのまま、驚くティーエの首筋にしっかりと抱きつき、ラクシはその表情を見ないようにして言う。
「好き」
ごくありきたりな、けれどとても簡素な言葉。けれど、その言葉は充分過ぎる程の力を秘めていた。
言葉は想いを伝える、もっとも原始的な方法のひとつ。
その言葉には、魂が宿る。それを言霊と呼ぶ。
「あなたには、敵いませんね」
苦笑したティーエの顔には、僅かに甘い色が混じっていた。
「あなたは、特別なんですよ」
わたしにとって。
ティーエはラクシの唇ギリギリまで自らの唇を近づけると、ラクシは思わず目を瞑ってしまう。
彼はそのまま、甘く掠れた声で、そっと…けれどはっきりと、囁いた。
あなたが好きだ、と。
そしてゆっくりと、そのまま唇を重ねた。
------------------------------
タイトルの元ネタは、菊田一夫作「ジャワの踊り子」の主題歌より。
凄く古い作品です。1952年に宝塚歌劇団で初演、その後一番最近の再演は2004年。
書いていて微妙に胃が痛い話になりました(苦笑)。
性格やら文体やらが今ひとつ掴めません。手強いです。
しかしめげずに頑張ります。愛。
(2006年04月23日)
<インデックスページに戻る>