<たとえばそんな未来があったのなら>




『水晶』に改めて封印を施す必要があり、その時ティーエは巫女王レイトリンに再会した。
勿論その場には、聖婚の夫である大祭司カリスウェンも同席していたのだが、レイトリンの物言いたげな視線を受け、 静かに頷き、先に部屋を出る。
封印の間に、ふたりだけが残される。
“世界”の相を持つティーエと、月神殿の巫女王レイトリン。
かつてこれ以上も無いほどに惹かれあった、聖婚の話すら決まりかけたふたりが、今こうして向き合って立っていた。
「トバティーエさま、わたくしの話を聞いて下さいますか」
「お話…何でしょうか」
レイトリンの言葉に、ティーエは軽く首を傾げた。全くの邪気の無い仕草に、レイトリンは何ともいえぬ複雑な笑みを洩らす。
「以前でしたら、わたくしとトバティーエさまの心は通じ合っておりましたのにね」
この封印の間は特殊なつくりの空間で、その者の持つ霊視の力を増大させる力を持つ。
故に本来は触れ合わなければ相手に伝わらない心の言葉でも、そのまま思うだけで伝わるのだ。
レイトリンはその事について触れている。
何故自分の言いたい事が伝わらないのか。
それを、暗に責められている気がして、ティーエはゆるゆると頭を振った。
「過去の、話です」
「過去の…話」
「確かにわたしは、あなたに惹かれて焦がれていました。…けれど、もう過ぎてしまったことなのです。 わたしの中で、その事は…過ぎてしまったこと、なのです」

ティーエは言葉を飾らない。相手に対する配慮が欠けていたかもしれない言葉であったが、 それがティーエの中の真実であったのだから、ティーエはそれをそのまま言葉にした。
レイトリンが心を痛めることを、ある程度は覚悟の上で。
だが、レイトリンは…心の動揺を表には出さなかった。
ただ、淋しそうに微笑んだだけであった。
「過ぎたこと…ですか。確かにそうですわ。今のわたくしは巫女王で、聖婚の夫はおにいさま… 大祭司カリスウェンです。そしてあなたは…大陸をお救いになり、市井として生きる道をお選びになった」
「ええ」
「聖職者としての道も、あったのに、です」
「ええ、それも、わかっています」
「…もし、大神官になって…それでも大陸の危機を救えるのだとしたら…トバティーエさまは、どうなさっていたのですか」
レイトリンは俯く。流石に、今の問い掛けは、言葉に出すのにはかなりの勇気が必要だった。
ある程度、返って来る言葉は判ってはいる。だが、どうしても訊かずにはいられなかった。
もし、大神官となっても世界を…大陸を救う事が出来たのなら、自分と共に生きる道を選んでいたか。
ティーエが神殿内のお飾りの地位を嫌う人間である事は、レイトリンとて知ってはいる。だが、 それでも…ティーエが大神官となったのなら、巫女王である自分と聖婚したのは、カリスウェンではなく、 ティーエのはずだったのだ。
だから、訊かずにはいられなかった。
お互いに心が通い合わなくなっているのが判っていても、レイトリンには、どうしても訊かずにはいられなかったのだ。

「巫女王さま」
以前なら、“レイトリン”と呼んで欲しいと頼み、そしてティーエもその名で呼んでくれていた。 だが、今のティーエは確かに、“巫女王”と呼んだ。それが、全てを物語っている気がした。
これ以上、訊かない方が良いのかもしれない。ティーエの発する言葉を、ここで遮って、違う話をすることの方が、 良いのかもしれない。
ティーエの口から、今の彼の真実を聞かされることは、傷付かずにはいられない状況であることは、 レイトリンにも判っていたからである。
だが、レイトリンは…そのまま、ティーエの言葉を待った。
互いに疚しいところは無い。それ故に、自分には、かつて惹かれあった、そして今でも愛している人の言葉を訊く 権利があると、そう思ったのだ。
「もし、という言葉は意味をなさないと…そう、思います」
ティーエは最初、遠回しな言い方をした。思わずレイトリンが首を傾げたくなるような、 奥歯に物の挟まったような言い方で、ティーエは続ける。
流石に、率直に言ってしまうには遠慮があったのかもしれない。だが、ティーエの言葉には嘘は無い。 それは、レイトリンも熟知していた。
決して嘘をつかないひとだからこそ、今こうして訊いているのだ。
心の中の真実を、自分に告げてもらうそのために。

「過ぎた時間は元には戻りません。…過ぎてしまった感情も、元には戻りません。 死んだひとが還って来ないように…それは全て、最初から定められていたのだと、わたしは思うのです」
「さだめ…」
「あなたと出逢ったことも、定めのひとつであるように…わたしが大神官にならなかったこともまた、 はじめから定められていた、そんな風に思えるのです」
「それは、今となってからお思いになったことですか」
「薄々、感づいてはいたことです。わたしは何のために存在し、そして生きているのか、と」
「…存在の理由ですか?それは、トバティーエさまは世界の相をお持ちになって、この大陸を救う、 その定めを背負った方ではありませんか」
「違うのです、巫女王さま」
言葉を交わしても、ふたりの距離は縮まることはない。互いに歩み寄ることもなく、ただ向かい合って、 ティーエとレイトリンは立っていた。
「わたしが…存在する意味。結局、大陸の危機は救えたものの、それは終焉のときを遅らせた、 ただそれだけなのです。それは、救ったということにはならない…それなら、わたしは何のために生きているのか。 最近、そんなことを考えるようになりました」
「…わたくしたちは、共に歩む事は不可能だったのかもしれませんわね。…はじめから」
「そう、かもしれません」
ティーエは否定しなかった。レイトリンは涙を流すことは無かったが、代わりに深い溜め息を洩らした。
「わたくしとトバティーエさまの魂はとても近い。けれど、それは近いだけで…寄り添う魂ではなかった。 そしてトバティーエさま、あなたは…ご自分の寄り添う魂を、既に見出してしまったのですね」
「見出したのではなく、…気付いただけかもしれません」
「気付いた…?」
「巫女王さまは、それが誰の事なのかお判りになっている。否定はしません。…その魂は、ずっとわたしの傍にいた。 わたしはずっとそれに気付かなかった、ただそれだけのことです」
「そうですか…」

レイトリンには心当たりがあった。否、思い当たる人物はただひとりしかいなかった。
いつもティーエの傍にいて、その心に寄り添っている、自分と同い年の、男装の少女。
彼女以外に、ティーエが求める人物はあり得なかった。
やはり、最初から、自分とティーエの歩むべき道は、限りなく近いようでいて、ひとつに交わることは無かったのだと、 レイトリンは思った。
それが、恋心を伴ったものであったとしても、歩むべき道は、運命によって、それぞれ定められているのだから。
縁が、無かったのかもしれない。共に生きる、歩むという道は、最初から、ふたりの間には存在しなかったのかもしれない。

「気付かないことの方が幸せなのだと、聞いたことがありますの」
「ええ、判る気がします」
「もし…あなたとわたくしが共に歩む道があったのだとしても、いずれ同じ結果に辿り着いたのではないか… わたくしは、そう思うのです。でも」
「でも?」
「少しだけ…淋しい、そんな気もします」
「巫女王さま…」
かつて焦がれるほどに惹かれたひとに、ティーエは言葉を掛けようとして、そして思い止まった。
これ以上、何も話すことなどないのだ。それを判っていながら、自分達は言葉を交わしている。これ以上の言葉は、 互いを傷付けるだけで、互いのためになりはしない。
それぞれ違う生き方を選んだ今、彼女に何を言っても、それはレイトリンを傷付けるだけの言葉になる。
レイトリンは巫女王として。月の女神の化身として、一生を生きてゆく。
そしてティーエは、人間として…ごく”普通の”生き方を選んだのだから。

ティーエは軽く会釈をした。
「これで、お別れになるかもしれません」
レイトリンもまた、軽く腰を屈める。大貴族の生まれを如実に示すその優雅さに、ティーエは少しだけ顔を綻ばせる。
「やはりあなたは、生まれついての巫女王となられる方だったのです。そしてわたしは、大神官になる人間では無かった。 だから、共に歩むことが出来なかった…それが、わたしの全てです」
「ええ、お話出来て、本当に良かった」
「…お暇します。カリスウェンさまを、お待たせするわけにもいきませんし」
そしてティーエは部屋を出るようにと、レイトリンに促す。それを、レイトリンは頭を振る事で拒絶した。
「巫女王さま?」
「…少しだけ、おにいさまには、お待ちになって頂けるよう…トバティーエさまから伝えて頂けませんか」
そう言うと、レイトリンはティーエに背を向けた。ティーエはその後姿に軽く一礼すると、部屋を出て行った。

あなたは本当のことを、最後までわたくしには話して下さらなかった。
共に歩む道も、切り拓く事は出来たはず。
けれど、あなたはそれを望まなかった。…あなたは、気付いてしまったから。
傍にいて欲しいひとの存在に、気付いてしまったのだから。そしてそれが、わたくしでは無かった、ただそれだけ…。

「嘘付きですね、トバティーエさま」
わたくしを気遣ってくれるのはとても嬉しいけれど。
でも、一緒にいる事が出来ない方が、もっと辛い。そして、あなたが彼女と、心を通わす様を見るのは、もっと辛い。
そこに、わたくしが入る余地は無いのだから。
だから…少しだけ、ここで心を静めたら。
いつもの巫女王に戻りましょう。おにいさまと手を携えて歩む、その道を、わたくしは歩いていかなければ…。
それが、わたくしの定めなのだから。


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いつの間にやらウヤムヤにされた感のある、ティーエとレイトリンの関係について捏造してみました。
レイトリンの喋り方はどうだったか…?と思い出すのにひと苦労しました(苦笑)。

ティーエは原作中でも、レイトリンに対して薄情とも思える行動を取っています(そしてそれをラクシになじられている)。
過去に戻ることは出来ない。”もし”や”…なら”は、後になってからの言葉であり、その時点では決して浮かばない言葉でも あります。
このふたりにきっちりと話がさせたくて、このような話になりました。
ティーエは嘘を吐かない人間のはずなのですが、最後のレイトリンの台詞は…まあ、そういう事なので、見逃してやって下さい ませ(苦笑)。

(2006年09月12日)







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